SaaSタイプのERPをFit to Standard で進めるためのToBeヒアリングとは③ 分析ヒアリングとビジネス価値
前回までの「業務ヒアリング」と「システムヒアリング」を経て、導入企業のAs-IsとTo-Be像がある程度整理できたかと思います。今回は、最終ステップである「分析ヒアリング」です。ここでは、KPIや分析指標をビジネス価値とどのように結びつけるかを検討し、導入効果を最大化する視点を探っていきます。
分析ヒアリングの目的
分析ヒアリングの目的は大きく二つに集約されます。
- KPIを明確にして評価指標を設定すること
- 分析ダッシュボード設計のためのユーザーストーリーを作成すること
これにより、最終的には新たに導入するERPが、どのようなビジネス価値に直結するかを具体的に可視化できるようになります。
失敗する進め方
先に失敗する進め方から説明します。分析ヒアリングで陥りがちな失敗のパターンは、「現行の帳票やExcelシートをすべて列挙して、そのままBIツールなどに当てはめてしまう」ケースです。なぜ失敗を招きやすいのでしょうか?
それは、それらの項目や指標が本当にビジネス価値と結びついているかを検証せずに作り込んでしまうためです。
つまり、現行の可視化・分析機能が『本当にビジネス価値につながるのか』を検証せずに、そのままシステム化・ダッシュボード化してしまうと、As-Isの項目を含む余計なデータソースや過剰なフィールド定義が必要になり、本来の標準プロセスを活かせないどころか、コストや運用負担ばかりが増えてしまいます。
BIをビジネス価値に紐づける手法
では、どのようにすれば分析をビジネス価値と結びつけられるのでしょうか。ポイントは、中期経営計画などを根拠に、ビジネスと直結する最重要指標を選び、そこから部門ごとのドライバーを導き出し、その活動としてユーザーストーリーを設計することです。
例えば、最重要指標を「ROIC(投下資本利益率)」とした場合は、次のように各部門で2〜5つの主要ドライバーが洗い出されます。
- 営業部門:価格戦略の見直し、顧客獲得活動の強化、クロスセル・アップセルの推進
- 生産部門:歩留まり改善、調達コスト削減、設備稼働率の向上
- 経理部門:資金調達の効率化、資産管理の効率化
一つの指標のみをひたすらドリルダウンするのではなく、部門を横断して分析する「ドリルアクロス」という考え方を取り入れると、ROIC改善の全体像が捉えやすくなります。
さらに、最重要指標とドライバーの関連性を数式化しておくことで、シミュレーションや目標設定をより具体的に行うことができます。ただし、数式化する際は、単なる財務計算の式だけで終わらせず、現場の活動を反映できる指標(例えば「歩留まり率=完成品数 ÷ 投入原材料数」など)を組み込むことが大切です。こうすることで、改善活動(歩留まりを上げる施策)と財務指標(原価低減によるROIC向上など)とのつながりが明確になります。
トップダウンの意思決定フローを可視化
最重要指標とドライバーを確認したあとは、トップダウンのコミュニケーション構造を整理します。例えばCEOが責任を負う指標が下振れした場合、CEOは誰に何を問い合わせ、どう判断していくのか。そこから、依頼を受けたメンバーがどんな情報をもとに次のアクションを起こすのかを把握します。
ユーザーストーリーの作成
ユーザーストーリーは、「誰が・いつ・何を見て・どのように判断し・何を実行するか」を明確にするための設計手法に基づきます。先ずは、あらかじめ「見る(確認)」「診断する」「意思決定する」という三つのステップを定義し、どのタイミングでどの指標を参照するのかを整理します。さらに、その指標がどのような数値を示したときに、次に何を見て、どう判断し、誰とコミュニケーションを取るのか、といったストーリーを立てるのです。
こうしたユーザーストーリーを設計するためのヒアリングを実施することで、経営指標(例えばROICや利益率)を改善するために最適化された要件定義へと生まれ変わります。次に紹介する「日次コスト可視化」の具体的事例では、そのユーザーストーリーがどのように現場の迅速かつ的確な意思決定を支援するのかを、より具体的にイメージしていただけるはずです。
ユーザーストーリーの具体的事例:日次コスト可視化
ある企業では、業務プロセスをBPRした結果、日次で直接原価を可視化できるようになりました。9ヶ所の工場で同一製品を製造しているため、工場ごとの製造コストを翌朝には管理者が確認できる仕組みを構築したのです。
このケースを例に、ユーザーストーリーを「見る(確認)」「診断する」「意思決定する」の3ステップで示します。
- 見る(確認)
- 工場長は出社後、自工場の製造コストを確認
- 診断する
- 自工場の製造コストが標準原価と比べてどうなのか把握
- 意思決定する
- 他工場と比較し、もし自工場だけが高いなら自工場の前日の製造を調べる
- 全工場が一律に標準原価を超えている場合は、製品設計を疑う
このように、ドリルダウン(原因を詳しく調べる)とドリルアクロス(横展開で比較する)を組み合わせて最適な分析を行い、その分析手順に沿ったダッシュボードを設計することが重要です。
最重要指標に大きく影響した事象の採用
過去に最重要指標を大幅に下振れさせた事象を想定することは、ユーザーストーリーの質を高める上で非常に有効です。ここでは、製造業で起こりやすい五つの事象を例として挙げます。実際に発生した場合をシナリオとして組み込み、「見る(確認)」「診断する」「意思決定する」の3ステップで対策シナリオを設計しておくと、同様の問題が再燃した場合でもスピーディかつ的確に対応できるでしょう。
- 突然の大口注文や需要急増による生産能力オーバー
- ある大口顧客から想定外の追加オーダーが入り、生産ラインのキャパシティを超えてしまった結果、納期遅延が発生。機会損失や顧客満足度の低下を招いた。
- 分析ポイント: 受注量の変動、ライン稼働率、シフト調整、外注活用
- 主要設備の故障やメンテナンス不足によるライン停止
- 生産ラインの中核を担う機械が突発的に故障し、数日間にわたって停止。修理費だけでなく、人員スケジュールや他ラインの稼働調整にも大きな影響が出て、原価率や納期遵守率が悪化した。
- 分析ポイント: 設備保全計画、ダウンタイムの原因、保全費用と生産ロス、可動率
- サプライヤーの不安定供給による資材欠品や緊急購買
- 主要原材料を扱うサプライヤーが調達難・生産トラブル・輸送遅延などを起こし、必要時に資材が届かない。結果としてラインが止まり、緊急購買や高コストの代替輸送が重なって利益を圧迫した。
- 分析ポイント: 資材在庫の安全余裕度、代替サプライヤーの有無、購買単価の変動
- 不良率の急激な上昇や大量リワークの発生
- 工程の一部で品質不良が急増し、製品の再加工や不良廃棄が続出。顧客への返品対応やクレーム対応コストがかさみ、売上総利益に大きく影響した。
- 分析ポイント: 不良発生原因(工程異常や設計不備など)、廃棄率とリワークコスト、顧客クレームの管理
- 需要予測ミスによる過剰在庫・在庫劣化
- 新製品や季節商品の需要を過大に見積もり、大量に生産した結果、需要が伸び悩んで在庫が長期滞留。保管場所が不足し、保管コストや在庫劣化による価値減少が深刻化した。
- 分析ポイント: 在庫回転率、需要予測精度、販促施策(値下げ・生産削減)との連動
これらの事象は、いずれも納期遵守率や原価率、不良率、稼働率などの最重要指標を大きく下振れさせる可能性があります。そのため、あらかじめユーザーストーリーを用いて「どのデータを見て、どう診断し、誰がどんな意思決定をするか」をシミュレーションしておけば、予期せぬトラブルにも適切な初動を取れるようになるでしょう。
日次と月次の「見る・診断する・意思決定する」
ユーザーストーリーを作成する際は、日次と月次でチェックすべき内容・判断軸が異なる点も押さえておくと、より実践的なダッシュボード設計が行えます。
日次では翌日への対応や迅速な応急措置が主眼となり、例えば設備停止があれば追加シフトや別ラインへの移管を即日で検討します。一方、月次では稼働率や原価率のトレンド分析を基に、設備投資や生産プロセスの抜本的見直しなど、中期的な施策の立案にフォーカスします。
このように、「時間軸」によって注視すべき指標や意思決定の内容が変わるためユーザーストーリーにおいても、日次と月次の視点を分けて設計すると効果的です。
匠の技を日常化(クリエイティブルーティン)
こうしたユーザーストーリーを作成するには、データ分析に特化した方のノウハウが必要です。現場でノウハウを持つ方は、ある管理帳票の値が上振れしていれば、次に見る管理帳票がほぼ決まっており、それを繰り返しながら状況を診断し、意思決定しています。
このノウハウをヒアリングして、ユーザーストーリーに整理し、ダッシュボードの設計に組み込めば、ノウハウを生かした効率的なダッシュボードになるだけでなく、匠の技を一般ユーザーにも展開可能となり、社員全員がデータドリブンな診断と意思決定をできるようになるでしょう。その真の狙いが、まさにこの点にあるのかもしれません。
データ抽出や加工に関する要件定義との関係
最終的には「どのファイルのどのフィールドに、どのタイミングで必要なデータがあるのか」など、データ抽出や加工に関する要件を詰めていく必要があります。ただし、分析ヒアリングの段階で求められるのは、ユーザーストーリーとしての大枠を確認することです。これだけで十分に要件定義の土台が整います。
VBD(Value Based Design)手法の活用
こうしたアプローチは、インフォア社がBI導入時に用いるVBD(Value Based Design)手法として知られています。BIソリューションを単なる「データの集計ツール」で終わらせるのではなく、ビジネス価値を起点に必要な情報と分析フローを設計することで、使われないまま埋もれてしまうBIを減らす効果が期待できます。※詳しくはビデオ「Building Analytics Dashboards Using Value Based Design Methodology (英語)」をご参照下さい。
ToBe分析ヒアリングのまとめ
- ユーザーストーリーは、指標(KPIやKVI)を改善する具体的なプロセスと責任関係を可視化し、組織内で共有するための強力な手法です。
- 過去の事例を取り上げることで、当時はどこにボトルネックがあったのか、どの段階で対策を講じていれば影響を最小化できたかを学び、再発防止を組み込んだ形でダッシュボード設計や業務プロセスを再構築できます。
- データ分析ノウハウの組織的共有と、ダッシュボードの標準化により、いわゆる「匠の技」が属人的にならず、日常的な運用に落とし込まれていくことが期待できます。
このようなアプローチを取ることで、Fit to Standard導入とともに組織の「データリテラシー」を高め、ビジネス価値向上に直結する意思決定が可能になるでしょう。
ヒアリングの成果物
ここまで3回にわたって解説してきた業務ヒアリング・システムヒアリング・分析ヒアリングでは、それぞれ次のような成果物が得られます。
業務ヒアリング:
- ビジネスプロセスモデル
- 業務領域との適合性及びTo-Beビジネスプロセスの選定
- 要求管理の整理
- 運用移行方針
- 業務課題の洗い出し
システムヒアリング:
- ビジネスデータモデル
- システムマップ
- インターフェース一覧
- システム及びデータ移行方針
- システム課題の洗い出し
分析ヒアリング:
- KPIとそのドライバー
- ビジネス価値を踏まえたユーザーストーリー
まとめ:Fit to Standard導入と意識変革
3部作を通して紹介してきたように、
- 現場視察と業務ヒアリング
- システムヒアリング
- 分析ヒアリング
という段階的アプローチで、問題の発見から解決策の具体化、そしてビジネス価値を高めるまでのプロセスをスムーズにつなげることができます。
本稿で取り上げた手法や考え方は、ERPプロジェクトだけでなく、DX推進や各種業務改革のシーンでも十分に応用可能です。ヒアリングによる「真のニーズや課題の把握」と、SaaS ERPの標準プロセスを存分に活かす「Fit to Standard」の視点を組み合わせることで、自社が目指す将来像を明確にし、組織全体にわたる意識変革を促すことができるでしょう。
これで三部作としての解説は完結となりますが、本文中で示した各種チェックポイントやサンプルの問いかけが、皆さまのプロジェクトにおける検討・実行の一助となれば幸いです。
次回予告
次回は、問題発見からどのように対策へと導くか? その秘訣に迫ります。
「在庫が多い」という指摘を、なぜ単なる“表面の問題”として片づけてはいけないのか? そこから真の原因を見極め、適切な対策に落とし込むためのフレームワークを大公開。2025年2月13日の特集記事を読むことで、ヒアリングが「ただ聞くだけ」から「相手を的確に導く訊き方」に変わるはずです。ぜひご期待ください。